
Danceで綴る物語「余白に溶ける声」
「余白に溶ける声」の始まり

「消えたい」
乗り越えた今では、隠さずに過去の体験として話すようになりました。
私の場合は、何かが辛いとか、苦しいとかではありませんでした。
ただ、「消えたい」「存在を失くしたい」という気持ちが消えない。
世界とは何なのか、世界に何故自分は存在するのか、自分は本当に存在しているのか。
自分の境界線が曖昧になり、どこからどこまでが自分なのかがわからない。
本当に自分の意思なのか、意思なんて本当にあるのか。
朝起きる度にまたこの広い世界に居てしまうのか、と何かに落ちていく感覚でした。
本当に落ちたら何か変わるかもと、スタジオのビルの屋上で数時間過ごす事もありました。
こんな自分なのに、何故かJAZZcolle.や舞台に関わる方は、繊細な感性の持ち主が多く集まってきます。
「なぜ表現者にはこんなに不安定な人が多いのか」
「私はどう接したらいいのか」
と悩む日々が続きました。
高い志を持って、作品を通して辛さを持った方々と関り始めたわけではありません。
専門的な知識があった訳でもありません。
どうしようもなくて、これしか自分にできる方法がなくて、とにかく「死んでほしくない」という思いだけで、目の前のことに必死にじたばたしてきました。
気付くと、お願いしたわけでもないのに、沢山の人が自然に手を差し伸べてくれていました。
「できる範囲で」と言いながらも、優しく関わってくれる人たちの存在に何度も救われました。
そして、支える立場として押し込めてきた感情を作品にすることで、何度も芸術に救われました。
そして、今では少しだけ気付けるようになりました。
私が支えなきゃと思っていたけれども、逆に沢山の優しさを教わり、沢山の愛情を教わり、生きる事への渇望を教わっていたのは私でした。
沢山の素晴らしい才能や性質-ギフト-を持っている方ばかりでした。
この作品は、私の実体験から生まれています。
世界が見えなかった時、支えようと我武者羅になっていた時、様々な気付きを貰った今。
理想論かもしれませんが、私が助けてもらったように、今苦しんでいる方々が昨日より少しだけ幸せに生きて欲しい。
生きててよかったと言って欲しい。
そのために、芸術ができることがあると、私は信じています。


