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​DanceとArtで綴る物語「Atelier Dolls」

JAZZcolle. Director騒が思う
Atelier Dolls

人って何なんでしょうか。生きるって何なんでしょうか。

どうしたら人と定義できるのでしょうか。

どうしたら生きていると言えるのでしょうか。

 

どうやったら幸せに生きれるんでしょうか。

本当に人は幸せに生きなきゃいけないんでしょうか。

 

幸せの為に人は存在しているんでしょうか。

 

日々、生きていると子供でも大人でも、どんな人間であっても、

人それぞれが何万通りもの感情になります。

 

嬉しい、かわいい、幸せ、ムカつく、嫌い、うるさい、温かい、冷たい、

 

その何万通りもの感情は世界の8割の人が確実に認識できるように

大きく分類されます。喜怒哀楽はその際たる例だと思います。

 

でも、本来は違うんだと思います。

同じ嬉しいでも、どう嬉しかったのか。どこが嬉しかったのか。

生きている全ての人が違うと思います。

その違いが、その感情が、思いが、「人」というものを創るのだとAtelier Dollsは

言っているように感じます。

 

そして、稀に残りの2割の人が感じてしまう、常識から逸脱した感情。

あり得ないと言われてしまう感情。ダメだと言われてしまう感情。

 

 

でも、それもまた感情であり、その人を創る要素です。

倫理的に、社会的にいけないとしても、それもまたその人に必要な要素であることに

変わりはないと思っています。

でもきっと、そういう感情は死ぬまで許されなくて、理解されないんだと思います。

 

そういう人は人ではないんでしょうか。

 

それぞれの感情が人を創るのだとしたら、その感情を認められなかった人たちは

人と呼んではいけないんでしょうか。

 

もちろん、物語で登場するような殺めるというような行為は

決して許されるものではありません。認めるつもりもありません。

でも、もし、そんな感情が湧いてしまったら、その瞬間人ではなくなってしまうんでしょうか。

 

 

私は思います。

 

 

「人」というものを愛したい。全ての要素を、感情を、抱きしめて愛したい。

どれだけ「人」というものを煩わしく感じてもそう思ってしまいます。

 

そう感じる、この感情もまた私を創る要素の1つです。

どんな感情を持って、自分という「人」になるかは、その人の自由です。

社会的に制限されることはあっても、人としてどんな要素を持って存在するかは

自由であると信じたい。

 

「人」という存在そのものへの肯定。「人」をつくる全ての感情への肯定。

私の目にはそんな作品に映っています。

 

大丈夫。あなたは生きていていい。あなたを生きていい。

自由に全てを想っていい。愛されたいと望んでいい。愛したいと想っていい。

 

 

私自身が一番、そう勇気づけられた気がしました。

 

 

この作品を見てどう思うか、感じるかは自由です。

面白かった、つまらなかった、感動した、泣けた、全ての感情があなたです。

 

あなたという「人」を思い切り生きてください。愛してください。

Director: 騒
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