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​DanceとArtで綴る物語「Atelier Dolls」

​ストーリー

森を超え、川を渡り、草花を掻き分けていくと、ポツンと見えてくる

「Atelier Dolls」。

アトリエの中には見たことが無い珍しい調度品が置かれており、一見何のアトリエかわからない。

 

今日も朝が来て、人形師たちが開店準備を行う。

床を磨き、道具を整え、庭の草花に水を遣る。

気温は暖かく、働くと少し汗ばんでくる陽気だが、人形師たちはどこか温度を

感じさせない。

嫌がるでもなく、喜ぶでもなく、決まった役割をこなしている。

 

開店準備が終わった頃、1人のとても上品な女性がお店を訪ねてくる。

日傘を差した着物姿がとてもたおやかで、何かを悩んだり後悔しているようには

見えない。

ただ、草花に誘われてきたような足取りだが、アトリエの看板を見つけ日傘を閉じた

ことで、アトリエが目的だと人形師たちは確信した。

「今日もまたお客様がいらっしゃった」

人形師たちの心に波紋が広がり、それが空気となり、部屋の調度品が鈍く光る。

 

その女性を案内し、アトリエの管理者である彩が話を聞く。

紅茶の香りが広がり、女性が穏やかに話し出す。

「とても綺麗なお庭ですね。」

「ありがとうございます。お客様がお庭にいらした時、お着物がとても草花に映えてまるでの絵のようでした。」

「ありがとうございます。これは夫にプレゼントして貰いました…そうですね、いい着物だと思います。」

私には夫がいます。子供もいますが、もうそれぞれ独立をし、あんなに手がかかった

のに今ではすっかり大人です。

とても幸せです。とても幸せな形の結婚生活です。

でも、毎日懐かしい何かを見つけては「私の人生はこれでよかったんだろうか」って

思うんです。

走り回った道の側に生えていた花や、雨に濡れた時の匂いや、砂利の音。

それを思い出す度に自分は何故ここにいるんだろうって思うんです。

私にはとても大好きだった幼馴染がいました。とても優しくて、私なんかより

沢山の事を知っていて、いつも一緒に遊んでいました。

ずっと一緒だって思っていました。

でも、ずっとって無いんですね。彼は家族と共にどこかに行ってしまいました。

どんな人と出会っても、どんな人と一緒にいても彼を思い出してしまうんです。

その瞬間が楽しくても幸せでも、もし彼とだったらどんなに楽しかっただろうかって。

私は今幸せと言われています。

毎日美味しいものを食べ、素敵な着物を着て、あたたかな家に居られる。

子供たちも立派に巣立ち、何の心配もありません。

きっとこれが幸せなんです。私はきっと幸せの中にいるんです。幸せと感じられない

私が悪いんです。

だから、大好きだった彼への気持ちを消してしまいたい。

思い出すこともなく、比べることもなく、後悔することもなく、今の夫との生活を

幸せと感じたい。

思い出は、いつか勝手に消えると思っていたのに、消えることなく輝きを増し、

いつか今の幸せを飲み込んでしまうんじゃないか、そう思っています。

話を聞いた彩は、特に何も感想は述べず、これからの手順だけ説明する。

想いや気持ちを消す訳じゃない、人形に託すだけ、痛いことは何もない、

ただ人形を見つめて欲しい。

もし今後やっぱり必要だったと思えば、お返しすることもできる。

人形師が人形を運び込んでくる。

不思議な色を発していて、なによりもその表情に女性は目を奪われる。

何故かその人形だけ浮き上がって見える。

不思議なアトリエだから不思議な事もあるんだろう、と女性は人形から目を離す。

手順はいたって簡単、人形師の動きに合わせて祈るだけ。思えばいい。

だったらもっと早く来れば良かった。

帰る時、庭の花を見ても、来るときに感じたチリチリと何かがくすぶる様な痛みはなく、ただ「幼い時見た花だ」と思うだけ。

そうか、そういうことなのか。

これでもう大丈夫、私はもう大丈夫、と、ほっとした心持ちで女性は道を

曲がっていく。

人形師たちは何も言わない。温度がない。ただ、空気が揺れるだけ。

空気が元の静けさを取り戻した頃、またさらに別の女性が入ってくる。

とても凛とした女性で、全身から芯の強さを醸し出す女性。

そんな女性が何をアトリエに求めるのか。

彩が挨拶をすると女性は、礼儀的に紅茶を一口だけのみ、自身で話し出す。

話し方は明確で、過不足無く。人形師たちは仕事をしながら聞き耳を立てる。

私は仕事が大好きです。

人生で好きな仕事に出会えてなんて幸せなんだろうって思っています。

一緒に働いてくれる子たちもみんな可愛く、この子たちを守る為ならなんでも

しようって思います。この気持ちに嘘偽りはありません。

ただ、頑張ったことが、必ず誰かに正確に届く訳ではありません。

事実は人や立場により形を変えます。

誰かの為に頑張ったことが、誰かの為にならない、なんて当たり前です。

それは私も異論はありません。

私が誰の為に頑張るべきなのか、そこは明確で揺るがないものです。

頭では今申し上げた事は全て理解しています。でも、どうしてなんでしょうか。

自分に必要のないはずの方々からの言葉や行動が、瓶の底に澱んでいるんです。

少しずつ少しずつ蓄積して、瓶が揺れた時にその澱んでいる濁った何かが、

澄んだ水の中を漂うんです。

 

どんどん瓶の底に溜まる何かのせいで、水が溢れてしまいそうなんです。

どうして彼らは私の瓶に投げ込んでくるんでしょうか。それが何になるんでしょうか。

 

このままでは水自体が水ではなくなってしまいます。

私は仕事に全てをかけています。仕事が好きだという気持ちが一番の強みだと自負しています。でも、このままでは仕事が辛くなってしまいます。

可愛いあの子たちも守れません。

今まで投げ込まれてきた瓶の底の何かを、どうか全て取り除いてください。

そうする事によって、私はもっと強くなれる気がするのです。

彩はその言葉を受け止めるだけ。人形師たちも受け止めるだけ。

女性の気持ちはつつがなく人形へと託される。水が流れるように女性の心から

人形へと流れ込む。

女性は息を吐き、紅茶を美味しいと言った。

丁寧なお礼を何度も言い、女性は帰っていった。

人形師たちは何も言わない。温度がない。ただ、空気が揺れるだけ。

 

 

陽が少し傾いてきた頃、人形師は可愛らしい声を耳にする。

可愛らしい女の子と楽しそうな女性の声が聞こえる。何かの歌だろうか。

通り過ぎると思われた2人は、アトリエの看板の前で立ち止まり何かを喋っている。

可愛い女の子は庭でしゃがみ何かを見始めた。

そんな女の子を手招きし、二人でアトリエに入ってきた。

明るく朗らかな女性は、動くたびに笑顔がこぼれる。手の動き、視線の動き、

その全てが相手に楽しさを与える。

ただ、どこかそう決まっているような、そんな動作に見える。

そんな事を思いながら彩は話を聞く。美味しそうに紅茶を飲み、楽しそうに話す女性に合わせて楽しそうに聞く。本当にこの女性は楽しいんだろうか。

私は元々ダンサーで沢山の舞台で踊っていました。

勿論しんどい事も沢山ありましたが、毎日が充実していて、素敵な仲間にも恵まれて。そうですね、ダンサーとしてはとても恵まれていたと思います。

ですが、あの子を産んで、私は当然のようにダンスを辞めました。

母親として当然です。産んで、育てて、慈しんで、いつか大人になるまで守るのが

私の役目だと思っています。

そう思って毎日頑張って子育てしている自分に自信もあります。

でも、ダンスを観るのが辛いんです。何故私はあそこにいないんだろう。

あの時の私と今の私は何が違うんだろう。

娘のことをとても可愛いと思っています。愛しています。

でも、舞台にいない自分が辛いんです。こんな母親はだめですよね。

母親なら母親として頑張りたいんです。だって本当にあの子を愛しているんです。

それが今の私の支えなんです。ダンスを好きだった自分を忘れたいんです。

あの子だけに愛情を注ぎたい。

頑張る為には、好きなものは1つにした方がいいんです。

アトリエの不思議な調度品を楽しそうに見ている女の子に、満面の笑みで手を振りながら彼女はそう話をした。ずっと笑顔のまま話をした。

彩は「可愛いお子さんですね」とだけ伝え、他は何も言わなかった。

人形師も何も言わない。

人形に気持ちを託している間、女の子の可愛らしい声が聞こえていた。

お待たせ、と女性は女の子の手を取り、また歌の続きだろうか、2人で楽しそうな声を上げながら帰っていった。

それがどこか決まっている動作に見える、そんな事を彩は思ったが口にはしない。

人形師たちも何も言わない。温度がない。ただ、空気が揺れるだけ。

 

 

夜が更ける。このアトリエは月の光が入るように作られている。ただ、今夜は月が見当たらない。そうするとアトリエはただの黒になる。昼は溢れんばかりの光で隠している何かが蠢くような、そんな黒になる。

 

 

しばらく経った頃、仕事が大好きな女性が再度訪れた。

仕事は相変わらず好きで、相変わらず納得のいかない出来事が起こるようだ。

また、その気持ちを移す。

あの可愛らしい女の子を愛していると言い切った女性が来た。

全力で母親という仕事に取り組んでいると。それが娘に伝わらない。

私に覚悟が足りないんじゃないか。もっと余分な気持ちを移して欲しい。

仕事が好きな女性が言う。辛くてしょうがない。

どうして私ばかり言われるのか。再度辛い気持ちを移す。

母親が言う。どうしてわかってくれないのか。私は母親であるなら、あの子は娘。

どうしてわからないのか。まだ私が母親になれていないのか。

あの子への気持ち以外を移してくれ。

仕事が好きな女性が言う。どうしてみんな悲しそうな目で見るのか。

何を言いたいのか。何故私が悪いのか。

守りたいと言っていたあの子たちへの気持ちを移す。

母親でありたい女性が言う。どうして伝わらないのか。私の何が悪いのか。

移して欲しい、可愛いも愛してるも。やるべきことをやる、それでいい。

彩と人形師は何も言わない。ただ、望みを叶えるのみ。

彩も人形師も判断はしない。あくまでも人形師。

 

温度がない。ただ、空気が揺れている。

 

 

その晩、彩が1通の手紙を読み始める…

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